けんちゃんのゼロから始める新・鮨バー(閉業しました)

寿司屋の修行なしに開業した26歳の成長日記(30歳になりました!)

とある街でベトナム珈琲を飲みながら-982記事目

こんにちは。

以前から書いていたものをようやくアップしたい思います。途中からなかなか書けずに下書き保存していましたが、少し加筆して公開しました。

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気まぐれでの更新になるのでだいぶ日が空いてしまいました。自分のペースで書くとなかなか継続するのは難しいものです。

今日は偶然見つけたベトナム珈琲屋さんで書いています。ベトナムらしい背の低いテーブルと椅子に座りながら、1年ちょっと前に行ったベトナムでのことを思い出しています。

カフェフィンという独特のアルミ製のフィルターから珈琲がポタポタ落ちるのを10分ほど待ち、エスプレッソとアメリカーノの間ぐらいの濃いめの珈琲が出来上がります。その間、お喋りしたり竹のようなものを使ってポコポコとタバコをふかしたりしながら各々の時間を過ごします。出来上がった珈琲はなんとも言えない絶妙な苦味で100mlぐらいの少量をちびちび飲みます。

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今は日本のベトナム珈琲屋なのでタバコをふかす人はさすがにいませんが、その他は全てベトナムの雰囲気そのままの居心地で懐かしみながらも、周りの景色は全て日本なので海外渡航が難しい世情も相まって深めのノスタルジーに浸っています。


ベトナムはホーチミンとハノイを訪れましたがベトナム戦争の色がそのまま残っていて街の雰囲気が180度違いました。北は政治の街ハノイであり、共産主義が色濃く残ります。ビジネスの街ホーチミンはタイのバンコクのような熱気と資本主義さながらの発展、競争が垣間見えました。南北に長い国だけあり気候が全く違い、僕が訪れた昨年の2月はハノイは冬でとても寒かったです。ホーチミンは常夏なので暑くて湿度も高く、まさに南国という感じ。

ハノイのホテルでは朝5時に目の前が騒がしく叩き起こされるような経験をしました。窓から外を見ると軍服を着た人たちが訓練をしています。街はボロボロのバイクや小さい自動車ばかりで観光客向けに新しい建物はありますが、基本的には退廃的でどこも薄暗く寂しげな空気が流れていました。

観光地へ足を運ぶと警察が常に見張っていて、腰には銃が。何か浮いた行動を取れば撃たれてしまうのではと思うほど緊張感がありました。ホテルも奇妙な程に綺麗で、街とのコントラストからもしかしたら盗聴されてたり?と勘ぐってしまうほどでした。

数日ハノイで過ごした後にホーチミンへ向かうとイメージが全く違いました。人々は自由に振る舞い空港ではしっかり騙し取ろうとして来るタクシー運転手がいたり、ネオンがギラギラ光っていたり。どこか安心感すらありました。

気に入って毎日行った「プロパガンダ」というベトナム料理屋は店の名前からハノイでは絶対にできないお店だなと思いました。味はもちろんのこと、店員さんもお店の雰囲気もセンス抜群と言った感じです。単価はやや高めで観光客向けのお店です。このお店ならそっくりそのままバンコクにあっても間違いないし、ヨーロッパなんかも似合うなあ、なんて思いながら。


しかし、ふと思ったのはこれはここにある必要があるのか?ということでした。バンコクやヨーロッパでもやっていけるレベルというよりも、バンコクやヨーロッパにありそうな感じなのかもしれない、そんなことも思いました。確かにホーチミンの中ではベストチョイスだったし、満足度も高い。でもここでしか食べられない味なのかどうか。これはバンコクにいるときもよく感じたことだったように思います。(バンコクには欧米の都市部にありそうなお店がとても多い。)

非の打ち所の全くない飲食店としてのレベルとは別に、なぜここでこのお店があるのかという部分がゴッソリ抜け落ちていたようにも感じました。もちろん食材がその土地のものであったりはするのだけど、そういう小手先の話ではなく。。。



そして振り返ると印象的なお店はむしろハノイにあったのかもしれないと思うようになりました。

何回か行ったフォーのお店。
看板もなく、オンラインの地図上にも出てこない店。路地裏なのに人がやたらに細い道に吸い込まれていくのを見て、しれーっと後ろを付けて行った先にあったGEM。

恐る恐る中に入ると茹でた鶏を丁寧におばあさんが解きながら骨と身に分けています。すべて手作業で、ひとつずつ分けられ骨はスープに、身はトッピングに使われます。その作業をしている姿にいきなり感動してしまいました。無駄な動きが一切なく流れるような連携で一杯が完成します。ものすごくローカルな場所で言葉は全く通じませんが、横にいた人のものを指差して注文しました。値段もわからないままでしたが、出したお金とお釣りを見る感じ、250円程だったようです。

そんな一風変わった場所ですが、次から次にお客さんが入っては出て行くのも頷ける。お店の雰囲気は唯一無二。色んな要素が複雑に絡み合いながらハノイでしかできないようなお店だと感じました。どこか薄暗さや目立つことをやってはいけないという空気が漂う抑圧されてしまいそうな街の路地裏。束の間の休息とも云わんばかりの安心感とホッとする味は身に染みるもので、もしかするとそれはハノイの人にとっても憩いの場になっているのかもしれません。

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そんなことを考えていると果たして何が自由で何が不自由なのか。また表現をする上で自分がこれまでやってきたことをどのように捉えるべきなのかということが浮き彫りになってくるように思います。決して恵まれた境遇ではなかったり、生まれた国に自由がなかったり、はたまた生まれた瞬間に満たされた生活を約束されているような、不平等と思わずにはいられないぐらい異なる立場の人がいます。それでも置かれた状況から決して目をそらすことなく、誠実に向き合うことの大切さを学んだように思いました。そしてそういう態度で生み出されたものは人の心を満たすようなものになるんだと思います。お金をかければかけるほどクオリティは上がるかもしれないけれど、心を満たすものっていうのはそれとは違う次元に存在して、今は厳しい時代だからこそ、より一層そういったものを作ることができるかどうかが大事なのだと感じています。




今僕のいるベトナム珈琲屋もとある地方都市にポツンとあります。とても寂しげな街。日本の未来を見たかのような廃れた町並みの中でここは唯一希望なのかもしれない、そんなことを珈琲を啜りながら考えていました。


それでは。