けんちゃんのゼロから始める新・鮨バー(閉業しました)

寿司屋の修行なしに開業した26歳の成長日記(30歳になりました!)

具体と抽象を反復横跳びする-981記事目

こんにちは。

 

今日は最近意識していることとして、「具体」と「抽象」というものについて少し書いてみたいと思います。これは人々が日常的に使う言葉であり、普段物事を考える上で知らず知らずにやっている作業だったりするようですが、あまり深く考えることもないような概念かもしれません。

 

きっかけは最近デザインに携わるようになって色々なことを考えながらモノづくりをする一方でお客さんや友人と会話をする時にうまく物事が伝わらないシーンが気になり始めたということがあります。振り返ってみると鮨しんを営業している時もお客さんとの会話で自分が思っていることがなかなかちゃんと伝わらず悔しいと思ったことがあった気がしますが、それについて立ち止まってじっくり思考するチャンスがなく、(というより気に留める余裕すらなく)流れていってしまっていました。

 

最近は色々と余裕があるのでそういった点について調べてみたり本を読んだりしていました。移動中は電車の窓から外を眺めながら思考するような時間もあって、自分なりに色々ああでもない、こうでもないと考えていたりします。

 

まず具体と抽象というものを考えた時、多くの人は具体的に物事を考えることを良しとする傾向があるようです。一方、抽象的なものというのは「分かりにくい」の代名詞になってしまうほどネガティブな印象を持つようです。「あの人が言っていることは何が言いたいのか分からない。」という感じです。でも意外と抽象的な思考というのは誰もがしていて、むしろそれがなければ物事を考えることすらできません。

 

例えばマグロを考えた時、目の前の切り身になった中トロを「どこで採れたどの個体のどの部位」のものというのを一つ一つ認識していては何も説明できません。北海道の海で採れた脂ののった赤からピンクにグラデーションがかった刺身という具体から「マグロ」という分類をしていることがもう既に抽象化する作業だと言えるからです。つまり物事に対して名前をつけることは個別の事象をまとめあげること(=抽象化)だと言えます。この時、概念のレベルで言えば、「北海道の海で採れた脂ののった赤からピンクにグラデーションがかった刺身」を最も低次の唯一無二のものとするなら、マグロと呼ぶことはそれ以上の高次のものになります。

 

3cm x 4cm x 5cm で構成されている直角三角形と a*2+b*2=c*2 の三平方の定理を考えれば、どちらが具体でどちらが抽象というのは簡単に分かるかと思います。そして同じ流れで個別的な直角三角形よりも三平方の定理が高次の概念となるため、パッとみた時には当然三平方の定理の方が「分かりにくい」ということになってしまったりします。

 

でもこうして考えてみると、抽象的なものが物事の真理である場合が多いように思います。「人間は考える葦である。」と人間を定義する哲学、「E=mc*2」と物理法則を定義する数学。これらは目の前で起こる全ての事象を包括する最高次の概念であると考えれば、抽象化というものは当然ないがしろにできない大切なものに思えてきます。

 

このようなことを基に考えてみると、デザインという仕事は「俯瞰の目」を提供することだと思うようになりました。例えば web サイトひとつとっても会社のことをなかなか俯瞰した立場で見ることができる内部の人はいないのではないでしょうか。社内で様々な業務をしているとそれらは具体的な内容になっていきます。そしていつしか自分たちの会社のあり方など大きなビジョンを忘れ、目の前の数字や業務に追われてしまうというのは至極仕方のないことだと思います。そんな時に、会社を外から見て抽象的な概念を与えることがデザインの力なのかもしれません。

 

「売り上げ1000万円!」という手段と「世の中の役に立つ企業になろう」という目標がいつしかすり替わってしまうのはよくある話のように思います。気づけばなんでこんなに頑張っているんだろうと途方に暮れてしまう。そんな風にならないために、より高次で抽象的なものを提示することができるのがデザインと言えます。抽象的なものというのは解釈の幅が広いため、より多くの具体的な事象を包括します。スローガンのようなものが一人一人の行動を決めていくような形で共通で持っている概念が結束力に繋がったり方向性を見直すきっかけになるのかもしれません。


振り返ってみると、鮨しんを営業していた時、とにかく目の前のことに必死でした。前の記事にも書いたように時間に追われる日々でした。そんな中で物事を俯瞰してみることはとても難しかったです。ついつい自分本位になってしまい個別の事象=具体に囚われすぎていたように思います。お客さんに何かを言われたときにそれが的を射たものであればあるほど何だか不愉快な気持ちになっていたのも否めません。


もちろん何となくで言われたようなものに対してはあまり耳を傾けないようにできていたのですが、図星であればあるほどムキになってしまう。そんなことって意外と身の回りでもあるのではないでしょうか?


逆に今の仕事はどちらかというと現場感はあまり無いように思います。それは立場が俯瞰させると言い換えることもできますし、しかし現場を知っているからこそ単なる縁の下の力持ちになるのではなく、高次から本質的かつクリティカルなアイディアやデザインでもって引き上げる、もしくは気づきを与える=言語化することを手助けできれば良いなと思っています。


こうして自分の社会人としての経歴を俯瞰してみたとすると、鮨しんでの経験は具体を経験するためにあったと感じます。そして、バンコクでコンサルティングシェフのような形で働いたときは間に挟まれながら様々な人間模様を目にしました。現在は少し抽象の立場と言えると思います。


このように運の良いことに様々な具体から抽象のレイヤーを経験して思うことはどちらも大事だという当たり前の結論だったりします。どちらに偏ってしまってもいけなくて、真ん中に停滞してもいけない。タイトルにある通り、いわば反復横跳びの如く、具体と抽象を行ったり来たりすることこそが何かを生み出すために必要なのだと思います。


具体にどっぷり浸かった鮨しん。そして抽象に寄った現在と思うと、これから反復横跳びのトレーニングを続け哲学者や数学者のような更なる高次へ向かっていきたいと強く思うようになりました。


仕事の内容はもはやあまり重要ではないとさえ最近では思います。創造的かつ知的欲求を満たすときの脳汁が湧く感じは本当に心地よくこれはまさに反復横跳びが生み出す産物のように思います。



ポップアップ的なチャンスがあればいつでも寿司を握りたいと思いながらもデザイン業務を中心に様々なことにこれから手を出していきたいと思います。この1年間は少し現場感がないので何かを作って世に出してみなければなと最近思っています。


具体と抽象ということについて僕の現在地を含め書いてみました。低次や高次という言葉のニュアンスからなんとなく低次が劣っているように思えてしまいがちですが全くそんなことはなく、低次唯物論というバタイユという人の考え方からすれば汚物こそ至高!ということになるので、本当に行き来することこそが現代的なのかなと思いながらこれについてはもう少し勉強してから書こうと思います。


それではまた。