けんちゃんのゼロから始める新・鮨バー(閉業しました)

寿司屋の修行なしに開業した26歳の成長日記(30歳になりました!)

山に囲まれて-980記事目

こんばんは。

海について書いたら次は山について。

現在ですが、高山市に来ています。

高山駅からバスで1時間半ほど山道を進み着いたところはほとんど人がいない空気の澄んだ中尾高原という場所です。

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この写真の中央奥には焼岳と呼ばれる岳があり、他にも2000m超えの山々がどの方角を見ても壮大に、そして圧倒的に並んでいます。少しまだ雪が降ったりもしましたが、山の上の方にはしっかりまだ雪化粧された状態で残っていて沢山綺麗な写真を撮ることができました。

 

それにしても自然は本当に偉大で、人間はほとんど0に等しいぐらい小さく何もできない存在だなと痛感させられます。この山の中にひとり取り残されたらどのように生きていけば良いのでしょうか。他の動物のようにたくましく自分で食物を取ることもできないし、川の水は冷たく、かと言って湧き出る源泉は熱すぎて触れられたものではありません。山に囲まれながらちっぽけな自分を感じながら、(だからこそ逆に)このような場所にも電気が通りインフラが整い、泊まる場所があることに感動すらしています。

 

人間は弱くて何もできないからこそ知恵を使い創造してきたから今があるんだなということを強く実感しています。この中尾高原にはお店がほとんどなく一軒だけ酒店がコンビニのような役割をしていてお菓子などを売っている以外は本当に手付かずの場所のようです。それでもこのような場所にも小さくとも集落があり、ほとんどが旅館業に従事する人たちなのかもしれませんが住んでいる人がいるという事実に創造力の根源を感じます。

 

創造的なものというと日常生活の上にある嗜好品のようなものをイメージしてしまうことが多いかもしれません。クリエイティブなファッションであったり、音楽や映像、その他にも様々なものを思い浮かべることができるように思います。僕が今仕事としている web サイト制作もそういう類のものかもしれません。生活になくても良いものと言い換えられてしまうかもしれません。

 

ですが、「クリエイティビティ」の本質的な部分というものは、このようなプリミティブな場所に来るとすごく理解できるような気がします。人間は弱い存在であるからこそ知恵を絞り創造をする。

 

例えば湯を引くスチールポンプを見ていると本当に感動してしまいます。この寒い地方で生きていくために湯を引かなければならないという必要にかられ、様々な知恵を集め実現した形なのだと思います。そのような視点で見ると何故ここにダムのような巨大な施設があるのか、ここに橋が建てられているのか、ということを考えずにはいられません。

 

そしてその答えは「生きていくため」に必要だからということになるのかもしれません。そしてこの延長線上に自分が今やっている仕事がなければならないと痛感する旅となっています。

 

創造というものは人間にとってとても大事で生きていく意味になるということは何度も書いてきました。最近は本当にそれを痛感しているのですが、そのルーツを今回知ったように思います。そして自分がこれから作っていくものがしっかりこのルーツの上に存在しているのかどうかを考える必要がありそうです。

 

個人の欲は極限状態においては圧倒的に不要なものだと思います。雪山で人から何かを奪おうということを思うはずがないと想像するのは容易なことです。でも、それがある程度の平和な場所では当たり前に起きてしまう。これはなぜだろうか。そんなことを考えながら明日からまた街に戻って生活していこうと思っています。

 

それでは。