けんちゃんのゼロから始める新・鮨バー(閉業しました)

寿司屋の修行なしに開業した26歳の成長日記(30歳になりました!)

海を見ながら-979記事目

こんばんは。

 

最近は少し忙くしていて気づけば2週間ほど記事を更新していませんでした。

気まぐれ投稿になるかと思いますが1000記事目までは続けたいと思います。

 

今日は海について。

 

バルセロナにいたときのことにも関連して、本当に海を見ていると様々なことを感じます。海を毎日ただひたすら眺めていたバルセロナでの日々。特に夕日が沈んでいく景色を前にすると悪いことはもちろん、良いことすら”考えること”自体をやめてしまい、気づけば平気で1時間眺めているなんてことがよくありました。何か自分がどこかに飛んでいってしまうような感覚。さっきまで感じていたストレスがものすごく馬鹿げたことに思えてしまうぐらい、自然の前に人間はちっぽけで(10m先まで行けば泳ぐことが苦手な僕はあっという間に溺れてしまうほど)弱い存在。自然の偉大さを感じずにはいられません。そして夕日を見ていると不思議と筋肉の緊張がほぐれ元気を与えてもくれる。最近はこんな景色を見ると、手を合わせて感謝と祈りをしてしまうぐらい海と夕日を信仰してしまっています。。。笑

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 (※沖縄で撮影した夕日)

 

 

海を無心で眺め、陽のパワーを浴びあたりが暗くなると同時にいつも思い出すことがあります。それはこういう時間を鮨しん時代は一度もとることができなかったなということです。

 

何をしていても携帯電話が気になったり、1時間じっと海や夕日を眺めているなんてことは「時間の無駄」とすら考えていたように思います。とにかく今思い出すと時間に追われていた日々でした。朝6時にアラームに起こされ、市場へ行き、まだ眠くて疲れもあって仮眠をするけど仕込みの時間が来ると起き上がり、そして魚に塩をしたり、酢締め、昆布締めと怒涛のタイマーの嵐。お客さんが来る18:00から逆算して米を研いで、炊いて、掃除をして営業2回転・・・営業が終われば片付けから次の日の食材や飲み物を発注、そして売り上げや経費の計算(からの中華料理を食べに出かける)とあまりにもタフすぎる(不健康になるためのような)日々を送っていました。

 

こんな状態だと何もせずにいることが悪いことをしているような気にもなってしまい罪悪感のような歪んだ感情すら生まれてしまいます。予定を詰めに詰め、休みは「勉強」で食事に出かけフルコースを食べ、飲み、「ビジネス」を考える為に、人と会い、また飲む。

 

今思えば、あの時自分に必要だったのは料理の勉強やビジネスのアイディアではなく、夕日を1時間眺めることができる心の余裕だったように思います。そしてその為に必要なことが十分な休息ときちんとした食事だったんだろうと振り返ると感じます。

 

食生活が荒れてしまうと腸内環境が荒れ睡眠の質も下がり、脳がフレッシュな状態でいることがとても難しくなるようです。副腎疲労についても先日書きました。そうすると落ち着いて物事を判断することができず気がつけば何かしていないと落ち着かない、何か食べないと満足できない「じっとしていられない」という症状が出てしまいます。こうなってしまうと負の連鎖から抜け出すのはものすごく難しくドツボにハマってしまいます。

 

何をしていても満たされないような感じがしてしまい必要のない予定まで入れてしまう。その結果がやはり何から何まで含めて閉業してしまった原因のような気がします。たくさんの方にご迷惑をかけ、若気のいたりという言葉だけでは済まされないようにも思いますが、今後このような失敗をしないように肝に銘じ現在の事業はしっかりと地に足をつけながらやっていこうと思っています。

 

海について書いていたはずがまた食べ物のことを書いてしまっていましたが、こういったことを海を見ていると考えるんだということ伝えたかったという強引な締めをしたいと思います。

 

海は偉大で誰のものでもなく、ただひたすらにちっぽけな僕たちを受け入れてくれる。逆に海を見ていると試されているような気持ちにもなる。本当に今やっていることは正しいことなのか、誰かの為になっていることなのか、誰かを傷つけることになっていないか。

 

これからも海を見ながら生きていこうと思います。

 

それでは。