けんちゃんのゼロから始める新・鮨バー

寿司屋の修行なしに開業した26歳の成長日記

I do nothing. 何もしないを肯定的に!

こんばんは!


今日は久しぶりに実家に戻って参りました。
なんとなくですが、久しぶりに何にもしなかったなあという感想です。

それでも、夜ご飯は作ったりはしました。
餃子と、炒飯、そしてザーサイと椎茸の中華スープ。

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ご飯を固めに炊くと、パラパラの炒飯を作れるというのを、ラジオで聞いて実践してみると本当にパラパラで美味しくなりました。またミョウガを入れると爽やかになるというのも、やってみたらすごく良かったです。これから炒飯を作るときはこんな感じで作れば良いのか、と思いました。


なんとなくですが、最近はバイトをしたり物件を見たり、また料理をしたりとあんまり何もしない日がなくて、今日は朝に実家に戻ってから昼ごはん、昼寝、買い出し、夜ご飯という感じで、家族といろんな話をしながら特にこれってこともない時間を過ごしました。


久しぶりに息抜きが出来て良かったです。


最近は、友達に暇なときは何してるの?なんて聞かれると、暇なときが自分の中ではないなあとか思ってました。というのも、料理を作るのも勉強ですし、食べに行くのも勉強。

何をしていてもいろんなことを考えてしまうからです。本当に今日はぼーっとしたり、アラームをかけずに昼寝したり、すごく何もしないのを能動的にできた気がします。


英語で言うところの、I do nothing.
「私は何もしないということをします。」

これができていた気がしますしとっても疲れが取れました。お風呂に入れたのも嬉しかったです。

 

ところで、最近、友達がスリランカのウルポタというところで、アーユルヴェーダの施術を受けたそうですが、これがまさにI do noting だったそうです。


日が昇り、沈むまでが生活時間で、ヨガのクラスが2回、1時間半ずつあるのみで、3時間以外は何もしない。


これを能動的にするのがとても良かったとのことでした。


意外と社会で生きていてこれは難しくて、何もしていない時というのは、疲れていたりするときにぼーっとしているときで、どちらかというと、受動的。


気づくとそうしていてという感じ。

いわば、I don't do anything の感覚。


しかし、先にも述べた通り、何もしないというのことを能動的にするというのはとても面白い感覚だと思いました。


今日はちょっとだけそんな感じで過ごすことができたと思いましたし、そうすると、明日からまた頑張ろう、なんて、前向きに考えることができています。

 

たまにはこういう日も必要ですねえ。

 

息抜きというとどうしても何かをするような感じがありました。

 

 

例えば受験生のときは、勉強の息抜きにちょっとゲームをしたり、映画を見たり、散歩をしたり等々。

 

 

でも、敢えて何もしないをする。

 

 

この表現自体が日本語だとなんかしっくりこなかったりするわけですが、この境地こそが大事で、これが日本のストレス社会と何かしらリンクするのかな、とかも思っていました。

 

 

何もしていないと少し不安になったりもします。

 

勉強のやる気が出ずに何もしなかった受験生の1日は後悔で押しつぶされそうになりました。そんなことを、覚えています。

 

 

逆に言えば、そういう時にこそ、心の余裕。I do nothing をする心の強さとも言えるかもしれません。

 

これがあれば本当に気分転換ができます。

 

ものや情報で溢れた今だからこそ、こういう日があると、普段の日々が充実するのでは?と思った1日でした!

 

 

それでは(^○^)