けんちゃんのゼロから始める新・鮨バー

2017年夏までに名古屋での寿司屋開店を目指す、26歳が日々思うことを書いています!Twitter: kenchansushi

「コンビニ人間」ー青春18切符読書の旅

こんばんは!

 

今日は愛知を出て、岡山の瀬戸駅というところに向かってます。名店の「ひさ田」さんに行くためです。鈍行列車の旅、第二弾!

途中、休憩に新大阪でご飯食べたりして、カフェとかも間に挟んで、すごく楽に来れました。

本読んでると苦にもならないし良いですねえ。

また、寿司屋訪問記は書きたいと思います!


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さて、今回のコンビニ人間ですが、芥川賞をとったことで、すごく話題になっている一冊。

これすごく読んでいて怖くなりました。

 

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主人公の古原恵子は、大学を出てからもコンビニでアルバイトを続ける36歳の女性。

大学を出てからも働ける場所がバイト先のコンビニしかなく、いつしか、人間ではなく、「コンビニ人間」という種類の動物として、自分を認識しそこにアイデンティティを見出していくストーリー。

これって前に読んだ「火花」の逆。

ピエロが夏場にこんな暑い時にこんなもの着たくない。と思ってしまったら、自分自身の模倣になっているという話。

つまり、他人が見る自分を信じ無理に演じるようになってしまってる。そうなってしまったらつまらんじゃん?という話。

でも、コンビニ人間の恵子は、そこに自我の芽生えを見る。

コンビニ人間は、異質で人間とは違うから今まであらゆることについて、「あの人は人間じゃないから。」という態度で接してもらっていたが、突然、ひょんなことから人間らしい行動、ここでは「男女が一緒に住む」ということが始まった途端、周りは人間として扱い、冷やかし、異常な干渉をはじめる。

それに対して居心地の悪さを覚えた恵子はコンビニのバイトを辞め、すると、今までコンビニの店員として生きてきたために、あらゆることに対する基準が壊れてしまう。

何時に寝ればいいのかも分からない。清潔感のある見た目である必要性がない。完全に自分を失った状態になってしまう。

そんな時、偶然入ったコンビニでガラスに映る自分に、妹が出産した時に見た赤ちゃんを重ねた。


世の中にはみんなそれぞれ二つの顔を持っているんだと思います。

それは、自分が見る自分の顔。それから、他者が見る自分の顔。

これって、大きく乖離していることもあれば、そうじゃないような人もいて。でもいろんなことの悩みの種ってこのギャップから生まれるんだと思います。

「本当はこう生きたい。」そう思っているのに、「周りの期待に応えたい。」だとか、「こんな年齢なのに、こんなことしていいのかなあ。」というような、自分の理想とどう見られるかのギャップに、折り合いをつけてみんな生きているんだと思います。


その中でも、「自分を貫き続けてる人たち」に対して、僕はすごいなあといつも思います。近所にニートを貫いている人がいれば、海外の大学を卒業してから芸人になった人。こんな例があるんだと思います。僕自身も以前に比べればそんな風に少しずつなれている気はします。

そして、「みんなそうあるべきだ!」と強く信じてきた部分もありました。

しかし、今回読んだ「コンビニ人間」のような自分自身を築いていく人もいるんだと思うと、面白いなと思うと同時に、これもまた一つの生き方なのかもしれないと思うようになりました。
自分自身の中に己を見出すのではなく、コンビニという空間の中で、コンビニ店員という己を見出した恵子。きっとこれからも、コンビニの中で、コンビニ人間として、あらゆることに気づき、素晴らしいサービスを提供していく、プロフェッショナルになっていくでしょう。

こんな生き方もありなんだと思ってしまいました。

でも、やっぱり、冒頭にも書いたように、怖い。
こんな人になってしまっては、とても怖いです。自分自身が自分で生きることができず、快楽を求めることもない。いわゆる「人間らしさ」というのはなく、社会に飼い慣らされたような状態。

僕はこれに対してやっぱり反発して生きたいと書いていて思うようになりました。

そして、恵子がなぜ自己を失っていったのか。それはやはり「理解者」の存在の欠落ではないかと思います。


幼少期、死んだ小鳥を見て、家族に「食べよう。」と提案する。周りは青ざめてしまう。でも恵子からすれば、家族はみんな唐揚げとか好きだし、せっかく、死んでる鳥がいるのに、なんで悲しいんだろう。そんなことを思いました。

これに対して母親が叱り、周りはどんびき。

こんな体験がいくつもありました。「なんで私を理解してくれないのか?」という疑問が段々、「どうせ自分を理解してくれる人なんていない。」というように変わっていきます。

これが「自分」というものを失うきっかけとなり、そこにコンビニ店員で、客との交流を通じて、また同僚との交流を通じて、誰かに必要とされる。そんな経験を通じて、他人による「自己」が確固たるものとなっていったと読むことができると思います。

最後に、結果としてだけれど、自分が見る「自分」を追求した先には、「落ちる」ということ。火花の神谷さんもそう。恵子がコンビニ店員を辞めた時もそう。

やっぱりどこかで折り合いをつけるってのが、この世の中を生きていく上で大切なことなのかもしれない。

振り切れてしまっては、ひとりぼっちになってしまうという結末が待っているからです。

ただ、そういう人ってかっこいいんだよなあ。(^○^)

 

考えさせられる小説でした!

それでは!